急性期の産婦人科は慌しい現場なので、患者さんが思わぬ感情をぶつけてきたり、思わぬ発言をされることも多いです。そんな中で、思わずイラっとすることは多々あります。
今回は、そんなイラっとした出来事をご紹介します。
妊婦本人が、出産に強い思いを抱かれる場合は多々ありますが、まれにご主人が、出産になみなみならぬ思いを抱く方がいます。思いが強いということは、良いことでもあるのですが、思いが強すぎると正しい判断できなくなり、ただの頑固者になることがあります。以前、こんな困った夫がいました。
その患者さんのご主人は、妻の妊娠をかなり喜び、妊婦健診も常に一緒でした。
妻には流産させまいと「家ではあまり動かないように」と軟禁生活を指示。
妻が買い物で出ようものなら、転ばないかと異常な心配をしていました。妻は、夫の過剰な心配をうっとうしそうにしながらも、何とか頑張って出産までたどり着きました。ご主人は、出産のかたちにもかなりこだわりがあるようで、赤ちゃんの生まれたいタイミングで、妊婦と赤ちゃんの力だけで生まれてきて欲しいと強く願っていました。
どこでそんな情報を得てきたのかは分かりませんが、出産は病気ではなく、自然なものなんだ、自然の摂理なので、赤ちゃんの力を信じれば、医学の力を借りなくても生まれてくると強く信じているようでした。
確かに出産は病気ではなく、自然の摂理の一つでもあります。
正常なら、医学の力を借りなくても生まれてくることができます。
ですが、出産は、妊婦さんや家族が思っているより、かなりハイリスクな出来事であることを分かって欲しいと思います。
妊婦さんも赤ちゃんも命がけで出産に挑んでいることを理解していない方は多々います。
また、最近では不妊治療や高齢妊婦、妊娠中の生活があまりよくない方もいて、ハイリスク患者は増えています。そこを理解せず、自然という形だけにこだわる患者さんは、産婦人科にとってはかなり困った患者さんになってしまいます。
結局、その妊婦さんは陣痛発来後、微弱陣痛が続き、2日経っても生まれませんでした。
妊婦さん自身はかなり疲労困憊で、早く産み終えたいとその一心でした。
赤ちゃんの心拍も時折、低下が見られ始めたので、医師の判断により帝王切開が勧められました。
陣痛促進剤をしてでも経膣分娩にして欲しい、もう後、1日待って欲しいなどと色々言われました。
でも、当の彼女はもう力がなく、夫の答えに対して自身はどう思うかを答える力さえ残っていませんでした。
それでも夫は、妻に「頑張れるよね?頑張ろう!」と声をかけています。
でも、夫は、陣痛の痛みで眠れない妻を横にして、昨夜は病室でたっぷり寝ているのです。ほとんどご飯も食べられない妻を前に、毎食ご飯も食べているのです。
そんな夫の言葉に、さすがに医療スタッフも返す言葉がありませんでした。
この夫にとって出産とは何なのだろうと思いました。
疲労困憊の妻と心拍が低下し始めている我が子を前に、頑張れ!という夫は、いったい何を一番大切にしているんだろうと思いました。
こういう場合、医師と助産師を交えて、夫に根気よく、今の現状や今、もっとも必要な処置は何かを説明します。
もちろん、妻と夫それぞれにきちんとメンタルフォローもおこないます。
きちんと納得して前に進まないと、トラブルも起きますし、患者さんや家族がトラウマを持つことも多いからです。
結局、夫はしぶしぶ納得し、帝王切開の運びとなりました。
手術後、妻は疲労で眠り続け、赤ちゃんはしんどかったのか肺呼吸が安定せず、しばらく保育器に入ることになりました。
赤ちゃんがお母さんの元に戻ったのは2日後でしたが、無事にお母さんは育児をスタートさせることができました。
その後、夫と妻に分娩の振り返りをすると、今は赤ちゃんの顔を見ることができてホッとしている、帝王切開で良かったとおっしゃっていました。
出産の形はいろいろありますが、出産に一番も二番ありません。
そのことをきちんと理解していて欲しいなと心から思う出来事でした。